1978年10月、銚子の地にジャズ喫茶を開店されてから25年になります。
2003年12月24日深夜(25日の早朝)01:07
クリスマスイブの夜中ですが、マスターがお亡くなりになりました。
入院して一ヶ月で旅立ってしまいました。
開店以前から私も多少関わっていました喫茶店です。
ジャズ好きにはオーディオ好きが多いものですが、彼は音に関しては全く無頓着でした。
お客から頼まれては営業的に色々なジャンルの音楽をレコードやCDでかけていました。
時にはヘビメタの様なハードな物もかかっていた時もあります。
でも、彼は心の底からジャズを愛していました。
ジャズはインプロビゼーション(アドリブの事です)が全てだ、と語っていました。 生半可な聞きかじりの事を言うと一蔑される事もありました。
他にお客がいないときなどは、2時間もジャズ講釈を聞かされたときもありました。
ちょっと偏屈で頑固でそれでいてお人好しでした。
その彼の性格上、お客が離れていってしまった事もあります。
ジャズを理解してくれない者に対して、真剣になって欲しかったと言う彼の心だったのですが、
はやりだけで聞いていた者にとっては、うっとおしく思われたのもいたしかたありません。
喫茶店としては、ジャズという音楽の性質上、営業的には厳しい物があったのも確かでしょう。
でも彼は、銚子の辺境の地にジャズを愛する者が居る限り、閉店する事は考えてはいなかったでしょう。
そして彼は、ジャズと共に旅立ってしまったのです。
この店を知る方がこれを読んでくださっていたら、マスターの冥福を祈ってあげてください。
そしてあなたもジャズを愛し続けてください。
それが彼に対する最高の餞(はなむけ)となるでしょうから。
藤井浩司
2005/06/19 だいぶ月日が流れましたが、未だにマスターを偲ぶ方々の声を聞いたりメールを頂きます。
高校生時代にここでジャズを聴いていたというサックス奏者 の 「菊地成孔(きくち なるよし)」氏もその一人だそうです。
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