人々がパソコンに求めたもの
 パソコンが登場する前、既に技術は誕生していました。グラフィカル・ユーザー・インターフェイス、ハードディスク、アーパネット(インターネットの前身)、電子メールなどです。
 コンピュータは、大きさも、価格も庶民が所有できる物ではありませんでした。集積回路が登場すると、コンピュータの小型化、低価格化が進みました。いわゆるダウンサイジングです。しかし、ダウンサイジングよって一般の人々がパソコンに興味を示すことはありませんでした。
 パソコンが誕生してから、一般の人々が所有するまでに約30年の歳月が必要でした。一般の人々はパソコンに何を求め、所有するようになったのでしょうか。それを探っていきましょう。
 
■パーソナルコンピュータの登場

アルテア8800 (1974年)
 世界初のパソコンと呼ばれているのは、MITS社が開発したアルテア8800です。キーボードもディスプレイもありませんでした。
 パソコンは、コンピュータの機能を必要最小限に絞って開発されたといってよいでしょう。計算能力、操作性、記憶容量など、すべてが大型コンピュータよりも遥かに劣っていました。

 アルテア8800は、組み立てキットとして発売されました。新し物好きの人たちが購入しましたが、組み立てることさえできず、クレームが多かったと伝えられています。

 アップル I は、スティーブ・ウォズニアックが開発したパソコンです。キーボードやディスプレイは付属されず、筺体もありませんでした。コンピュータを購入するのだから、それくらい購入者自身で用意できるだろうということです。
 アップル I がターゲットにしていた客層はマニアだったと伝えられていますが、マニアしか買わない時代でもありました。

 この時代、パソコンンは実用的なものではなく、購入する人は理系のマニアだったといえそうです。

アップル I (1976年)
■マニアの娯楽から一般人の道具へ

アップル II (1977年)
 アップル II は、アップルコンピュータ社が開発したパソコンです。「ホームコンピュータ」という宣伝文句で売り込まれました。ターゲットにしていた客層は、マニアではなく、一般人でした。家庭用のテレビと接続できるように作られており、搭載されていたプログラム言語でプログラムを組むことが可能でした。
 パーソナルソフトウェア社がVisiCalc(ビジカルク)という表計算ソフトを発売すると、アップル II はビジネスの場でも使われるようになります。アメリカでは、アップル II が学校教育で使われ、国民機的な存在となりました。

 ベーシックマスターは、日立製作所が開発したパソコンです。その名の通り、プログラム言語のBASICが搭載されていました。価格は、188,000円です。CPUは、8ビットの演算が可能なHD46800(日立製)でした。

 8ビットパソコンの多くはBASICを搭載しており、BASICがOSとしての役割も担っていました。プログラムが組めないとパソコンを使うことが出来なかったので、パソコンがリビングのインテリアと化すことは珍しいことではありませんでした。

 1970年代後半、キーボード付きのパソコンが登場しました。大学や研究機関、大手企業が独占的に使用していたコンピュータが身近なものに成りつつありました。家庭用テレビに接続することで、だれでも、家に居ながらプログラムを楽しむことができるようになったのです。

 この時代、マニアだけでなく、プログラムに興味を持った人たちがパソコンを購入していました。

ベーシックマスター(1978年)
■玩具パソコン
 1980年代、玩具としてのパソコンが登場しました。トミー工業の『ぴゅう太』、カシオ計算機の『楽がき』、任天堂の『ファミリーコンピュータ』などです。マイクロソフト社とアスキー社によって、MSXというパソコンの規格が取りまとめられたことも注目すべき点です。
 1983年、SONYがMSXパソコン『HIT BIT』を発売しました。MSXに参入した企業は、国内・海外合わせて20以上に上ります。
 玩具パソコンは、家庭用テレビを表示装置として用いました。当時の家庭用テレビは専用ディスプレイよりも解像度が低く、文字表示が苦手でした。コロンとセミコロンの入力ミスは頻繁に起こり、エラーメッセージの常連でした。文字表示が苦手であるという点が足かせとなり、16ビットCPUを搭載した玩具パソコンでさえ、8ビットCPUのパソコンよりも低性能に見えました。実際、コストを抑えることに主眼を置いて作られた玩具パソコンの性能は低く、ファミリーコンピュータを代表とする玩具パソコンは、家庭用ゲーム機として扱われました。
 その後、玩具パソコンは歴史の舞台から消え、家庭用ゲーム機という新ジャンルを確立し、パソコンとの競合は無くなりました。

 玩具パソコンの登場は、ユーザー層の低年齢化を加速させました。しかし、子供たちの目的はプログラムを組むことではなく、ゲームを楽しむことでした。
■IBM-PC vs Macintosh

マッキントッシュ(1984年)
 1980年代初頭、IBM社がパソコン市場に参入しました。IBM社のパソコンは、マイクロソフト社が開発したOSで動いていました。このOSは、MS-DOSという名で他社のパソコン用OSとして販売され、世界的なオペレーティングシステムとなります。

 同じころ、アップルコンピュータ社は画期的な操作性のパソコンを開発していました。それが、マッキントッシュです。
 マッキントッシュは、マウスを標準装備してグラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI)を実現しました。

 1980年代は、MS-DOSとMac OSの争いがありました。1990年代にはMS-DOSで動いていたパソコンにもGUIが採用さるようになります。Windows95が登場すると、パソコンの操作はGUI一色に染まっていきました。

 この時代、パソコンはダウンサイジングという技術革新により高性能化が進みました。漢字処理が容易にできるようになると、事務処理にパソコンを導入する会社が増え、パソコンに触れる機会が増えました。
■Windowsとインターネット

Windows搭載パソコン(1995年)
 1995年、マイクロソフト社がWindows95を発表しました。日本語版の発売日、秋葉原では深夜にもかかわらず、お祭り騒ぎになりました。発売の瞬間をテレビが中継するほどの注目度でした。
 この頃、パソコンを購入する人は一部の人でした。会社ではパソコンを使うけれど、自宅では必要がない。そのように考えている人が多かったためです。もちろん、Windows95を単体で購入する人は、マニアでした。
 Windows95搭載パソコンには、インターネットを利用するためのソフトがインストールされていたためマスコミが注目し、インターネットの知名度が上がりました。
 当時、パソコンにはフロッピーディスクに替わり、マルチメディアの必需品であるCD-ROMドライブが搭載されるようになっていました。インターネットやマルチメディアに興味を持った人たちがWindows95搭載パソコンを購入し、一般世帯のパソコン所有率は上がりましたが、爆発的にと言えるほどの効果はありませんでした。まだまだ、パソコンは高価なものであり、気軽に買えるものではなかったのです。

 新バージョンとしてWindows98が発売される頃には、CD-Rを標準搭載するパソコンも増え、CDのコピーを目的にパソコンを購入する人も増えました。Windows98は、USB接続にも対応しており、CD-R装置などの周辺機器を外付けすることも可能でした。USBは、初期設定を自動で行ってくれるという画期的なものでした。

 Windows95の登場により、日本独自のパソコンは姿を消し、大手メーカーでさえもPC/AT互換機を生産するようになりました。Windowsが圧倒的なシェアを獲得すると、ワードやエクセルを教えるパソコンスクールが現れました。それまでは、パソコンを学ぶと言えば、ハードウェアとプログラム言語について学ぶことが必須でしたが、Windows95の登場で時代が変わりました。
 昔の商人が、『読み・書き・そろばん』を勉強したように、パソコンを学ぶことがビジネスマンの常識となりました。
■ブロードバンド
 2001年はブロードバンド元年といわれています。ADSL通信が爆発的に普及しました。
 ADSLサービスは定額制ですが、定額という言葉を使わずに、「使いたい放題」や「無料(タダ)」という言葉でCMを流す会社が現れました。
 以前のインターネット接続は、ダイヤルアップ接続といいます。接続のために電話を掛けるので、通話料が発生しました。通話料は通話時間(接続時間)に応じて課金されます。これに対して、ADSLサービスは、定額制でした。それを某会社は「無料」と表現したのです。巧みな言葉使いに感心させられました。
 この言葉巧みなCMによって、インターネットに興味を持っていた一般の人たちがパソコンの購入を始めました。ADSLに同時加入するとパソコンが1円で買えるという大手プロバイダによる販売戦略がパソコンの普及に貢献しました。
 つまり、人々がパソコンを使うようになったきっかけは、パソコンの低価格化ではなく、ADSLによるインターネット接続料の定額化だったといえそうです。2001年、パソコンを所有する世帯は50%を超えたといわれています。
■タブレット端末

iPad (2010年)
 インターネットに接続できるスマートフォンやタブレット端末が発表されるとパソコンの売り上げは低迷して行きました。しかし、マイクロソフト社によるWindows XPのサポートが終了する2014年は、パソコンからタブレット端末への乗り換えが加速するのではないかと予想されています。

 1972年、アラン・ケイがDynaBook(ダイナブック)構想を打ち出しました。DynaBookとは、『片手で持てて、単独で使える対話型グラフィック・コンピュータ』のことです。ネットワークへの接続も想定されていました。
 2010年、アップル社がiPadを発売し、世界的な大反響となりました。iPadは、DynaBook構想を実現した製品だったのです。

 DynaBook構想から40年、真のモバイルコンピューティングが実現しました。

■結論
 人々はパソコンに何を求めたのでしょうか。
 パソコンが誕生した当初、人々がパソコンに求めていたものは事務処理能力でした。この事実は、表計算ソフトのビジカルクの登場でアップル II の売り上げが伸びたことが証明しています。そろ盤や電卓よりも便利な道具として受け入れられたといってよいでしょう。インターネットが登場する前、事務処理以外の用途でパソコンを使っていたのは、一部のマニアたちでした。
 インターネットの登場で状況が変わりました。人々の関心はパソコンの計算能力ではなく、インターネットで提供されているサービスへと移りました。インターネットの登場は、それまでパソコンに興味を示さなかった人たちの関心まで引き寄せました。インターネットで提供されている様々なサービスが無ければ、パソコンを私的に購入する利用者は増えず、一般世帯への普及は進まなかったことでしょう。
 パソコンの機能向上に合わせて、人々がパソコンに求める役割は変わってきました。この先、人々はパソコンに何を求めるのでしょうか。私は、人工知能ではないかと考えています。
2013年6月23日