F1 News
2016年5月15日 最年少優勝 マックス・フェルスタッペン スペインのカタロニア・サーキットでレッドブルのマックス・フェルスタッペンが史上最年少で初優勝を飾った。 |
2015年7月26日 マクラーレン・ホンダ、今季初のダブル入賞。アロンソ5位、バトン9位。 2015年7月18日 ジュール・ビアンキ亡くなる。昨年、日本GPの決勝レースで頭部にダメージを受けたビアンキは意識不明のまま治療を受けていた。 F1での死亡事故は、1994年サンマリノGPの決勝レースの事故で死亡したアイルトン・セナ以来となる。 |
2014年12月11日 マクラーレン、来季ドライバーを発表。ドライバーは、アロンソとバトン。 2014年11月26日 マクラーレン・ホンダ、F1合同テスト初日にタイム計測できず。電気系にトラブルの疑い。走行できたのは、わずか3周。 2014年10月5日 日本グランプリ決勝(雨)でジュール・ビアンキがコースオフし、エイドリアン・スーティルのマシンを撤去していた車両に激突した。頭部に外傷があり意識不明の重体。 2014年4月20日 中国GPで珍事。チェッカーフラッグが1周早く振られ、56周のレースが54週で打ち切られた。競技ルールには、次のようにある。 チェッカーフラッグが早く振られてしまった場合、そのときチェッカーを受けたドライバーが、その前に最後にフィニッシュラインを横切っていた時点でレースが終了する。 2014年3月16日 1.6リッターV6ターボエンジンに不評の声。エンジンサウンドに魅力が無い。 2014年1月21日 小林可夢偉、ケータハムからのF1復帰を正式発表。 |
2013年10月27日 インドGP、ベッテルが優勝して4年連続のワールドチャンピオン獲得した。しかし、レース終了後は直接パルクフェルメ(車両保管所)に戻るという規定に違反し、ホームストレート上でドーナツターンを披露するなどした。レッドブルにも2万5千ユーロ(約336万円)の罰金。 2013年9月11日 ライコネンがフェラーリに復帰。契約は来季から2年間。 2013年6月10日 9日、カナダGPの決勝でクラッシュしたマシンの撤去中、クレーン車の死角で不意に転んだマーシャルが、クレーン車に轢かれた。懸命の治療にもかかわらず、命を落とす結果となった。 2013年5月16日 ホンダがF1復帰を正式発表。発表の会場には、マクラーレン代表のマーティン・ウィットマーシュ氏も同席し、「両者にとって過去の栄光を背負っての門出となります」と挨拶をした。 2013年5月15日 ホンダがF1復帰。本社による正式発表よりも先にマスコミ各社(新聞・テレビ)が報道。各社とも共通している内容は、2015年からの復帰を目指し、エンジンの供給先はマクラーレンというもの。 2013年4月30日 今季以降、分配金は上位10位チームのみに支払うとバーニー・エクレストン氏がコメント。 2013年4月21日 佐藤琢磨が北米最高峰のインディカーシリーズで初優勝。日本人初。コースは、カリフォルニア州のロングビーチ市街地特設コース。 2013年2月15日 HRT撤退。ヒスパニア・レーシング・F1チーム(HRT)の撤退が発表された(現地時間15日)。地元マドリードにある自動車の解体・リサイクル業者がHRTの撤退を間接的に発表した。HRTの資産の大部分が業者の手に渡ったが、エンジンとギアボックスは製造者に返却された。 |
2012年12月18日 小林可夢偉、来季シート獲得断念。 2012年11月26日(現地時間では25日) セバスチャン・ベッテルが史上最年少で3連覇。 2012年10月7日 小林可夢偉、母国グランプリで3位。表彰台獲得は日本人で3人目の快挙。 2012年8月28日 電気自動車の国際レースシリーズが2014年から始まることが明らかになった。名称は「フォーミュラE」 2012年4月26日 FIAがフロント・ロールフープをテスト。2009年、F2でのヘンリー・サーティースの死亡事故、フェリペ・マッサのヘルメットにサスペンションの部品が直撃する事故など、コックピットの安全性向上が求められている。 2012年1月19日 フジテレビがF1の放映権を2年間延長。ただし、地上波での放送はなし。無料放送はBSフジへ移行。 |
2011年11月26日 ベッテルが自己の持つ記録を更新。年間最多ポールポジション獲得回数が15回に。 2011年11月19日 ホンダが2014年にマクラーレンと契約し、F1復帰との噂が流れた。 *後日、ホンダとマクラーレンの双方が噂を否定 2011年11月12日 ベッテルが今シーズン14回目のポールポジションを獲得し、年間ポールポジション獲得回数で1992年にマンセルが樹立した記録に並んだ。 ただし、1992年は年間16戦だったのに対して、今季は既に17戦目。 2011年6月30日 現地時間29日、FIAが2014年から1.6リッターV6ターボのエンジンを導入する計画を正式に承認。 2011年6月25日 現地時間24日、米インディカーシリーズに参戦する元F1ドライバーの佐藤琢磨が日本人ドライバーとして初めてポールポジションを獲得した。(第8戦アイオワ) 2011年6月10日 F1バーレーンGP、再び中止が決定。 2011年6月3日 バーレーンGPの年内開催が決定。10月30日(日)に決勝。各チームは難色を示した。 2011年5月29日 小林可夢偉(ザウバー)がモナコGPで5位入賞。モナコGPでの日本人最高位。 2011年3月1日 レッドブルが日産自動車と2年間のスポンサー契約を結んだと発表。 2011年2月22日 2011年の開幕戦(3月11〜13日)に予定されていたバーレーンGPが、政情不安(反政府デモ)の影響で開催中止に決定した。F1の開催が中止になったのは、阪神淡路大震災の影響で中止になた1995年パシフィックGP(現:岡山国際サーキット)以来のこと。 |
2010年11月14日 S.ベッテル(レッドブル・レーシング)が史上最年少王者に! 2010年7月25日 ドイツGP、フェラーリにチームオーダー疑惑。 2010年6月23日 ピレリが来季以降3年間にわたり単独タイヤサプライヤーに決定したとFIAが発表。 107%ルール、来季復活が決定。 2010年5月 Fダクト、来季から禁止へ。 |
2009年12月23日 シューマッハの2010年F1復帰が発表された。復帰チームはメルセデスGP(旧ブラウンGP)。 2009年11月4日 トヨタ、F1撤退を発表。 2009年11月2日 ブリヂストンが、来シーズンいっぱいでF1タイヤ供給を終了することを発表。 2009年7月29日 BMW、2009年末でのF1撤退を発表。 2009年4月9日 撤退のホンダF1、チーム売却額わずか1ポンド(147円)だったことが関係者の話で明らかに。 2009年3月29日 ブラウンGPが初参戦で初優勝。1-2フィニッシュの快挙。 2009年3月6日 F1から撤退を表明したホンダが、F1チームをチーム代表だったロス・ブラウン氏に売却したと発表。ブラウン氏が新オーナーとなり、チームは「ブラウンGP・F1チーム」として再スタート。 |
2008年12月5日 ホンダ、F1からの撤退を発表。 2008年11月2日 ルイス・ハミルトン(マクラーレン・メルセデス)が史上最年少王者に。 2008年9月13日 セバスチャン・ベッテル(トロ・ロッソ)が史上最年少でポールポジションを獲得。 2008年5月25日 中嶋一貴がモナコGPで日本人初入賞(7位)。 2008年5月12日 R.バリチェロが、F1出場最多記録を更新。新記録の257をペイントしたマシンで参戦。 2008年5月6日 SUPER AGURI F1チーム、F1からの撤退を発表。39戦で幕。 2008年3月16日 ウィリアムズ・トヨタの中嶋一貴(23)が6位に入賞し、ポイントを獲得した。中嶋悟が記録した、日本人フル参戦初戦の最高位(7位)も更新。 |