ショートショート
『Actual Dream〜現実の夢』


気が付くと、私は何もない暗黒の闇の中を、下へ下へと落ちていた・・。
いや、実際のところは、ただ単に頭の中だけで、
そう思っているだけに過ぎないのかも知れない。
そう、そんな風な考えを起こしてしまう程、ここは常軌を逸した場所なのであった。
既に感覚が麻痺してしまっているのだろうか。
今の私には、自分の周囲がどのようになっているのかさえ、判断がつかないのだ。
勿論、上下左右の区別などつけられる訳がない。
それなのに下へ落ちていると、感じてしまっている訳だから。
これはもう、矛盾以外の何ものでもないが。そう感じてしまっているいるのだから仕方ない。
私は、半ば本能的に、『これは夢なんだ』そう思っていた。
いや、本当はそう思い込もうとしてしていただけなのかも知れない。
それ以外に、この状況を説明できるものはないのだから
―夢なんだ、そうに決まっている。
こう、私が勝手に決めつけていた、その時。
落下は停止した…。
ふんわりと、やわらかに。

少し慌てて、辺りを見回す私。何も見える物はないと言うのに。
―いや、あれは何だろう?
気が付くと、何やらぼんやりとではあるが、目の前に何かが見え始めている。
暗闇の中にただ一人と言う心細さ。
そしてこの状態から早く抜け出したいと言う気持ちも手伝ってか、
全神経を集中させ、それを見ようとする私。
―あれはなんだ? 何だろう、とても良く知っているような気がする。
そして、私の目が慣れるにつれ、それは、その姿、形を整え始めていた。
そう、それはあたかも、カメラのピントが次第にあって行くかのように。

どうやらそれは人のようであった。何かの台の上に、横たわっているのが分かる。
さらに、はっきりと見え出すその物…。
私はショックとは違った、不思議な感覚を味わっていた。
その横たわっている人物が、誰なのであるか、もはや確認するまでもない。
そう、何故ならそれは、この世の中で私が一番良く知っている人物。
つまりは、私自身そのものだったのであるから…。
だが、私はさほどの驚きは感じていなかった。
むしろ、そんな落ち着きはらった自分に対し、驚きを感じてしまったくらいなのだから。
おそらく、その時既に私は開き直っていたのかも知れない。
それはそうだろう、開き直りでもしなければ、とてもやっていられたものではない。
この、生まれて始めて、自分の身体を別の場所から見下ろすと言う、何とも言えない違和感。
おそらくは、これを経験した者でなくては、感じ取る事のできないものだろう。
まあ、そうかと言って、おいそれと経験できる類の物でない事は、確かではあるが…。
こう、私が馬鹿な事を考え始めていた時であった。

横たわっている私の身体が、光を放ち始めたのである。
次第にその光が強くなって行く。
と、その時。
ガクン!
私の身体が一度、大きく振動した。
そして、次の瞬間。
私の身体は、もの凄い力で、その横たわっている私を目がけ、引きつけられて行ったのだ。
あっと言う間に、目前に迫る身体。
視界のすべてが、眩いばかりの光で包み込まれる。
そして、それは、弾け飛んだ…。


一体、どれ程の間、私はこうして我を忘れていたのであろう。
気が付くと、私はとても以外な場所に座っていたのであった。
いや、もうこれは以外などと言う言葉などでは、片付けられない、そんな場所である。
机の落書きや、傷の一つ一つが、やけに眩しく見えるそんな場所。…。
黒板に、所狭しと書き込まれている、癖のある文字…。
それを背にして、まるで子守歌のような難しい説明を、しきりに繰り返す、懐かしい顔…。
そして、それをただ、仕方にしに聞いている、もっと懐かしい、顔、顔、顔…。
そして、何と言っても…。
チョンチョンと、背中をシャープペンシルの先で、突っついてくる、この感触…。
私は、恐る恐る後ろの座席を振り返って見た。
そこには・・・。
そう、そこには、何ら悪びれる様子もなく。笑顔で答える、彼女の顔があった…。
「ねえ、昨日自転車で、駅前走っていたでしょ。一人で何処行ってたの?」
何のためらいもなしに、私に問いかけてくる、彼女。
私は返す言葉を失っていた。
すべてが昔のままなのだ。
何もかもが…。
「あたし、声かけたのに、無視して行っちゃうんだから」
尚も話しかけてくる、彼女。
ただ、茫然として、彼女のその顔を見つめるだけの、私。
「ねえってば。どうかしたの。ちょっと今日おかしいよ?」
―おかしい? ああ、全くだ。今の私は本当にどうかしているんだ。
よりによって、こんなおかしな。こんなおかしな夢を見てしまうなんて…。
―夢? そうだ、これは夢だ。本当の自分は、今頃布団の中で寝ているに違いない。
そうだ、そうでなければ、私がこんな風に、あの時に戻れる訳がない。
私は心の中で、そう思い込もうとしていた。
と、その時。何処からともなく、聞き慣れない不思議な声が響き渡った。
『夢なんかじゃ、ないわよ!』
信じられない事に、どうやらその声は、直接私の頭の中に、話しかけられていたようだ。
ふと、気が付くと、私はまた元の暗闇の中にいた。
―誰だ?
私は目の前に居もしない、その声の主に向かって、心のなかでこう呼びかけてみた。
―夢ではない? では、どうやってこの状況を説明すると言うのだ。
また、直接頭の中に声がする。
『この世はすべて、つくり物。夢なのよ。何一つ確かな物なんてありはしないわ。
つまりは、夢とは現実でもあるの。そう、現実は夢を呼び、夢は現実となる。
今、あなたが体験した事は、実際の出来事だったんでしょ? 
だったらそれは今も続いている、現実なんじゃないの?
確かに時はたってしまったけど…』
何処からともなく、私の目の前に少女が音もなく出現する。
まるで、幽霊でも見ているかのように。
その少女は、年の頃はせいぜいが十五、六と言ったところであろう。
まだ十分に幼さの残る、あどけない顔立ちである。
―馬鹿馬鹿しい。
私は余りにもひどい少女の理論に、半ば呆れていた。
―夢は夢。寝ている間に脳が作り出した、単なる幻想に過ぎない。
そんなもので何が変えられると言うんだ。
確かに現実の延長で夢を見る事はあるとは思うが、
それは、つじつまも合わないような、ひどいもの。現実とは程遠い産物ではないのか。
何故か悲しげな表情をつくる、少女。
しばらく何か考え込んでいたようであったが、やがて決心したのだろう。
顔を上げると、私に向かってこう言ったのであった。
『良かったら、昔のその時代に戻って見る?
そうすればあたしの言った事が、きっと分かると思うわ』
少女は、微笑みを浮かべこう言った。
その微笑みは、可愛らしくも見え、また、何か底知れぬ力も感じさせる。
そんな不思議な魅力をも兼ね備えているようであった。
尚も、こう続ける。
『簡単よ、あなたにその気がありさえすればいいんだもの』
不覚にも、私の心の中で動揺が生じた。
―もし、それが可能だとすれば…。いや、そんな事がある訳がない。しかし…。
何故か、こう考え始めてしまっている、私。しかし、次の瞬間にはこう私は決心をしていた。
―やめておこう。あんな思いは、人生の中で一度あれば十分だ。
だが、いきなり少女はとんでもない事を口にしたのであった。
『そう言えば、確か明後日だったかな、彼女の結納。…。何でもお見合いしたとかで…』
私は何か堅いもので、頭を殴られたような衝撃を覚えていた。
―何故、この子はそれを知っているんだ? この私ですら、知るすべもなかったと言うのに…。
うろたえる自分が、嫌と言う程分かった。
そして、少女は謎めいた表情で、こう言うのであった。
『言ったでしょ、この世はすべて、夢なのよ…。どうするの、
今なら何とか間に合うと思うけど』
―一体この子は、私に何をさせようとしているんだ?
例え間に合ったとしても、もうこればかりは、今更どうする事もできないだろうに。
大体が、彼女とは卒業してから一、二度道ばたですれ違った程度の仲なのに。
逢ったところで望めるものはもう、何もないではないか…。
ふと、少女の表情が急に曇る。そう、それは、あたかも私の心を読んでいるかのように…。
『これ、あなたにあげるわ…』
こう言って、少女が差し出した物は、銀色をしたロケット。
中央で分かれ、両側に開くと言った仕組みになっている、あれである。
私は、好奇心から、それを受け取り開けてみようと試みた。
が、結果は単なる徒労に過ぎなかった。
『それは、つい最近まで、彼女の小物箱の中に入っていた物よ。
でも、もう不要になってしまったみたいね。
だって、中身を焼き捨てて、処分してしまったんだから…。
あたしはもう帰らなければならないけど。もし、もしもよ。
あなたがあたしの事を、本当に心から必要とした時、それは開くわ…。
手遅れにならなければいいんだけどな。…それじゃ、いつの日にか必ずまた逢いましょ。
絶対に、約束よ…』
少女の影が次第に薄くなって行く。
「まってくれ! 君の名前は?」
私は始めて、言葉を声として発した。
『あたし…? あた…しは……、あ……なた……の………、夢…………』
最後の方は、もう聞き取れない程の小さな声であったが、
それでも、私には少女が微笑んだのが、良く分かっていた。

そして、後にはあの暗闇が続くだけ…。
何処までも、はてしなく…。


翌朝、いつもより二時間以上も早くに目が覚めてしまった私であった。
―まったく、おかしな夢を見たもんだ。
私はもうろうとする頭の中で、もう一度昨夜のあの夢の事を思い出してみた。
何度考えてみても、やはりおかしな夢である事に変わりはない。
―あの少女は、一体…。
しっかりと脳裏に焼き付いてしまった、
少女の微笑みを振り払うかのように、私はベッドから起きあがろうとした。
その時である。
私の胸の上で、何かが音をたて、その勢いのまま床へと落ちて行った…。
―まさか、こんな事があっていいものか!
そう、その落ちて行ったその物とは。まぎれもなく、
処分されてしまったと夢の中で言っていたロケットだったのである。
恐る恐る壊れ物を扱うかのように、それを拾い上げてみる、私。
確かに現実の物である。手のひらにしっかりとした、重みを感じる。
―そんな馬鹿な。まだ夢を見ているとでも言うのか…。
私はかすかにめまいを感じた。これが私の持ち物でないことは、火を見るより明らかである。
―誰もこの部屋に入れる訳などないのに、これは一体。
ふいに、私は、あの少女の言葉を思い出した。
『この世はすべて、つくり物。夢なのよ。何一つ確かな物なんてありはしないわ。
つまりは、夢とは現実でもあるの。そう、現実は夢を呼び、夢は現実となる…』
そして、この言葉と重なるように、私の脳裏に浮かび上がってくる、
当時の彼女の悪びれない、あの笑顔…。
―彼女に逢いたい。例え一度だけでもいいから…。
気が付くと、私の心の中は、
いつの間にかそんな彼女への想いで、いっぱいにふくれ上がっていた。
もう、完全に諦め、忘れた筈のこの想い。
―逢いたい。もう一度、あの笑顔を見たい…。
振り切ろうとする程、さらに大きさを増して行く、彼女のあの笑顔。
その時である。
カチッ!
軽い音をたて、何もしていないのに、手の中のロケットは開いた。
驚き、中をのぞき込む、私…。
そして、その中にあった物。それは…。
私はしばし茫然として、それを眺めていた。
時計の秒針が、一体何周したのだろう。
その中にあった物。
それは、当時の彼女の写真…。
そして、もう一方にあったのは……。

―自分の夢を、もう一度だけ、信じてもいいかな…。
そんな事を思いつつ、ロケットを静かに閉じる、私であった。

明日の事を、夢見ながら……。


そして、時は過ぎ、いくつもの季節が流れ、私の娘も中学へと、進学していた。
あの、夢の中の、必ずまた逢おうねって言っていた、少女。
それが誰であったのか、今頃になって、ようやく気付く事になるとは、 一体誰が想像しただろう…。

それは、今の二人にとってかけがえのない、大切な宝物…。

そして、今。
夢は現実のものとなった。


Tomoi Fujisaki

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