東日本大震災の記憶
 
- 帰宅困難者 -
Menu
 東日本大震災での東京の被害は比較的に小さなものでした。しかし、交通機関は麻痺し、約515万人もの帰宅困難者(帰宅難民)を出すほどの大混乱に陥りました。
 地震発生の直後、緊急通報の回線確保のために通信規制が行なわれ、携帯電話などの回線が麻痺してしまいました。電話が役に立たない事を知ると、家族の安否を確認するため、都心で働く人たちがいっせいに帰宅を始めました。
 しかし、首都高速は全面通行止め、首都圏のJR・私鉄各線は全線で運転見合わせなど、交通機関は麻痺していました。JR新宿駅では、午後8時までに一万人近い帰宅困難者が足止めされました。

 交通機関の運転見合わせにより足止めされた人々は、歩いて帰ることにしました。一刻も早く、家族の安否を確認したかったのです。
 その後、寒さや疲れから帰宅をあきらめた帰宅困難者がたくさん出たのですが、都内の自治体が、宿泊場所や毛布・食料を提供して帰宅困難者を助けました。
 この時、帰宅困難者に提供された備蓄品は、そこに住む自治体住民のために備蓄してあったものです。そのため、帰宅困難者が自治体住民のために用意された備蓄品を奪ってしまったという批判があったことも事実です。

 車で帰る人がいっせいに帰宅を始めると道路が渋滞します。東日本大震災では、緊急車両(救急車や消防車など)の動きが妨げられるということも実際に起きてしまいました。
 防災計画は緊急車両が機動的に活動できるという前提で立てられています。被災者は安全な場所にとどまり、安全が確認できてから帰宅するということも防災計画に盛り込まれているそうです。

 都心に従業員を抱える企業には、災害発生時に帰宅困難者を出さない対策が求められています。従業員分の食料や毛布を備蓄することが求められているのです。
 食料や毛布の備蓄が求められている理由は、都心にいる1000万人以上の人がいっせいに帰宅を始めると思わぬ危険が待ちかまえているからです。
 東日本大震災では、安全が確認できる前にいっせい帰宅が始まり交通網が麻痺してしまいました。防災計画の立場からは想定外のことだったのですが、通信網も麻痺しており、家族の安否確認ができない状況では帰りたいという気持ちを抑えることができなかったのです。
 大勢の人が一ヶ所に集まると、将棋倒しが発生する危険が高まります。将棋倒しの圧力で圧迫死する犠牲者がでるかもしれません。

 東日本大震災によって、ツイッターやブログなどのインターネットサービスが安否確認の手段として有効であることが明らかになりました。震災の混乱の中、インターネットの回線は機能していたのです。
 インターネットは、障害個所を迂回してデータの送受信ができるように開発されています。そのため、インターネットは災害に強いといわれていたのですが、東日本大震災は、それを証明する形になりました。

 緊急時の連絡手段は何を選択するのか、どの施設へ避難するのか、日頃から家族で考えておくことが大切です。