東日本大震災の記憶
 
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ボランティア、消防、自衛隊、海上保安庁の活動

●ボランティアの活動

 大規模な災害が発生した場合、社会福祉協議会などが「災害ボランティアセンター」を設置し、被災地のニーズに合ったボランティア活動が提供できるように取りまとめを行います。社会福祉協議会とは、社会福祉法に基づき、すべての都道府県・市町村に設置されている非営利の民間組織です。

 ボランティア活動を行う場合、まず災害ボランティアセンターに登録することがマナーであるようです。登録することで人的資源が管理でき、効率のよいボランティア活動を被災地の方々に提供できるようになります。さらに、ボランティア活動保険にも加入します。ボランティア活動でけがをした場合や、物を壊すなど損害賠償責任が発生した場合などに支払われる保険です。ボランティア活動保険に入ることは、被災した地域の財産を守ることになります。
 宮城県石巻市では、市内にある専修大学の校舎内に災害ボランティアセンターを置きました。ボランティアの人たちは専修大学の敷地内にテントを張って寝食の場所としました。避難所は被災した方たちが使います。地元の負担にならないということがボランティアの基本です。
 東日本大震災直後の被災地では、ガソリンや宿泊施設の不足などの理由から、市内在住者や自己完結型のボランティア(食事や宿泊を自ら手配できる)に限ってボランティアを受け入れました。そのため、ボランティアの人数は不足しました。避難所での物資の運搬や食事の準備などは、避難所に避難している人たちの中からボランティアを募ってやりくりしていまいた。
 道路、水道、電気、ガスなどのライフラインが復旧してくると、広範囲からのボランティアの受け入れが可能になりました。

 被災地では次のようなボランティア活動が求められました。
 @泥かき、瓦礫(がれき)の撤去、浸水した家屋の掃除、支援物資の仕分けなどの体力仕事。
 A子供の遊び相手、学習支援、お年寄りの傾聴などの世話役。
 B栄養指導、心理カウンセリング、法律相談、外国語や手話の通訳などの専門知識。
 大規模な災害では、海外からも多くのボランティアが来日して被災者をサポートしてくれます。そこで、外国語の堪能な人材が必要になります。外国人医師(国境なき医師団)と患者の間に立って通訳をしたりします。
 経験豊かなボランティアが、過去の災害ではどのように復興が進んだのかといった話をして、被災者に安心を与えるという活動があります。避難している方たちに未来予想図を示すのです。
 疲労が溜まったボランティアの人の心のケアを、ケアマネージャーと呼ばれるボランティアが行います。
 このように、ボランティアには力仕事以外にも様々な活動があります。

 被災地での災害ボランティア活動では、ボランティアの心身にも大きな負担を与えます。心の負担が大きくなると、「燃え尽き症候群」と呼ばれる症状が現れてきます。無気力感、無感動、アルコール依存、欲求不満などの症状です。
 欲求不満がたまると、被災者とささいなことで口論することがあるそうです。そのため、NGO(非政府組織)の「ピースボート」では、活動期間を原則一週間と決めて派遣しました。
 燃え尽きる前に休養を取ってもらい、また行きたいと思ったら参加してもらう。この仕組みは、阪神淡路大震災での教訓から生まれたそうです。
 全国社会福祉協議会が発表している、災害時ボランティア活動に関する注意書きを見つけたのでURLを掲載しておきます。http://www.shakyo.or.jp/saigai/katudou.html

●消防の活動
 日本全国から応援に駆け付け、行方不明者の捜索活動、生存者や負傷者の救出・搬送、火災の警戒などを行ないました。
 東京消防庁のハイパーレスキュー隊は、福島第一原子力発電所の原子炉を冷却するため、屈折放水塔車という特殊な車両を使って放水活動を行いました。

●自衛隊の活動
 東日本大震災の復興のために災害派遣された自衛官は約10万6,000人(全自衛隊員の約半数)に及びました。行方不明者の捜索や瓦礫(がれき)の撤去、架橋や道路の整備・補修点検などが自衛隊という言葉から想像される任務です。これ以外にも、自己完結型の組織という特徴を活かした救援活動が行われました。

 石巻市にある石巻高等学校に避難している被災者の夕食を自衛隊が調理していたそうです。自衛隊の装備品に「野外炊具1号改」というものがあります。それを使って被災者の食事を用意していました。一度に200人分の食事を作れるといいます。生活習慣病のことを考えて薄味に仕上げられていたそうです。

 お風呂の提供ということも自衛隊により行われました。川の水をポンプで汲み上げ、浄水器で浄化します。その水をボイラーで沸かし、お風呂を作ったそうです。入浴して心も体もほぐれると、自衛隊員に胸中を打ち明ける被災者もいらっしゃるそうです。そのような人の話し相手になることも自衛官の任務であるようです。このほか、野外で洗濯できる装備を投入して、被災者の方たちが衣類を洗濯できるようにしました。

 市役所などに送られてきた支援物資を、各配給所へ運ぶのも自衛隊が担当しました。運搬した支援物資の配給も自衛隊員が行いました。

 即応予備自衛官と呼ばれる人たちも災害派遣で活動しました。即応予備自衛官というのは、一度退職した自衛官を呼び寄せ、再び職務にあたらせるというものです。即応予備自衛官には年間30日の訓練が課せられています。即応予備自衛官が招集されたのは東日本大震災が史上初となったそうです。

 海上自衛隊はアメリカ海軍と協力して洋上の捜索活動を展開しました。アメリカ軍は、東日本大震災での支援活動を「トモダチ作戦」と命名し、海上だけでなく避難所への物資輸送なども協力してくれました。

 航空自衛隊は、情報収集や物資の輸送などで活躍しました。被災地へ飛行機を飛ばし、状況の把握に努めました。震度5以上の揺れを記録すると、ただちに自衛隊機が緊急発進し、空から情報収集を行ないます。東日本大震災当日、東北の空を飛んだ自衛隊機は190機に及ぶそうです。
 津波の後、建物の屋上などに取り残された被災者の救助も行いました。
 東日本大震災では、陸上・海上・航空自衛隊が一体となって震災の対応にあたりました。
 *瓦礫の撤去などで出てきた通帳などは警察に届けられ、そこから持ち主に返される手順になっているそうです。

●海上保安庁の活動
 東日本大震災では、津波により多くの人たちが犠牲になりました。津波は町を壊滅させた後、引き潮となって陸地に有ったものを海へと引きずり込みました。瓦礫はもちろんのこと、車や人までが海に流されてしまいました。
 海に流された人たちの捜索を海上保安庁の潜水士(海猿)が担当しました。瓦礫や泥の影響で海の中の視界は非常に悪く、漁に使う網などが体に絡まると、潜水士の生命にもかかわります。そのため、捜索は難航したそうです。