東日本大震災の記憶 |
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地震発生後の10日間 |
2011年3月11日 ・午後2時46分、三陸沖でマグニチュード9.0の地震が発生(当初M8.8と発表されたが、これは速報を出すための規格的単純な計算式を用いたため)、6分以上に渡って揺れ続けた地域もあり、これは国内の観測史上最長でした。地震の規模は、日本の観測史上最大であり、世界的な大地震。その後も震度6弱以下の余震が頻発。 ・仙台市では海岸線から約2Kmの地点まで津波が到達し、ビルや家屋、車などが多数流された。200人〜300人の遺体が見つかる。 ・宮城県気仙沼市では、津波でタンクから重油が漏れ出し、市街地で火災が発生。津波の影響で重油とともに炎が流され、大火に包まれた市街地は壊滅状態。 *通常、重油は揮発性が弱く、燃えません。しかし、震災当日、宮城県では最大風速6メートルの風が吹いていました。この風の影響で、本来であれば上に逃げる礫(がれき)の炎の熱が海面に伝わり、漂っていた重油が燃え上がってしまいました。 ・宮城県石巻市では、合計約140人が乗った建造中の船3隻が沖に流された。 ・岩手県山田町で死者多数。 ・千葉県市原市で石油コンビナート火災。 ・火力、水力、原子力あわせ50ヵ所近く停止。東北地方を中心に約450万世帯、東京電力管内でも約400万世帯が停電。 ・福島第一原子力発電所2号機に於いて、原子炉内の水位低下。 ・仙台空港の滑走路水没。 ・千葉県浦安市、世界最大規模の液状化被害(総面積の約8割が液状化) ・首都高、東北道など高速道路は関東や東北でほぼ全域通行止。 ・首都圏で帰宅できない大量の帰宅難民が発生。 ・岩手、宮城、福島からの災害派遣要請で陸海空自衛隊が出動。 ・今回の地震を「東北地方太平洋沖地震」と気象庁が命名。 2011年3月12日 ・福島第一原子力発電所1号機の建屋が水素爆発。敷地外にいた住民3人の被ばくを確認。 ・宮城県南三陸町の町人約17,300人のうち約10,000人が行方不明。約7,500人が小学校や中学校に避難。 ・岩手県陸前高田市と大槌町で計300人以上の遺体を発見。陸前高田市の市街地はほぼ水没。 ・東京電力が14日以降、地域ごとに停電を行う「輪番(りんばん)停電」の実施を検討。 2011年3月13日 ・東京電力が、管内の1都8県を区市町村を中心に5グループに分け、グループごとに電力供給を停止する「計画停電(輪番停電)」を行うと発表。グループ分けや実施時間は毎回変更される予定。 ・気象庁が、今回の地震のエネルギーをマグニチュード8.8から9.0に上方修正。 ・避難者の人数は、宮城県だけで21万人、全国で40万人を超えた。 2011年3月14日 ・東京電力管内の早朝〜夕方までの計画停電は実施されなかったが、夕方の電力需要には不安が残り、第五グループのみ計画停電(17:00〜18:30)が実施された。 ・福島第一原子力発電所3号機も水素爆発。社員ら11人がけが。 ・福島第一原子力発電所2号機で炉心溶融の可能性。敷地周辺の放射線量が午後9時37分に基準の約6倍(3,130マイクロシーベルト)となり、国に対して緊急事態を伝える通報(15条通報)を行った。 2011年3月15日 ・福島第一原子力発電所4号機が火災、2号機から爆発音。半径20Kmまでを避難地域(逃げなさい)、半径20Km〜30Kmまでを屋内退避(外へ出るな)に設定。 ・施設内の放射線量は、人体に影響を及ぼす可能性のある数値まで上昇したと公表。 ・東京で放射性物質を検出。ただし、健康に影響のないレベル。 ・東北の被災地で雪が降り始める。毛布一枚で寒さをしのぐ被災者も。 ・宮城県南三陸町で、避難していた約2,000人の無事が確認された。 ・平均株価が今日一日で1,015円下落。 2011年3月16日 ・午前5時45分ころ、福島第一原子力発電所4号機建屋で炎を確認。 ・午前10時ころ、福島第一原子力発電所3号機で水蒸気による白煙。 ・官房長官がガソリンなど、燃料の買い溜めをしないように記者会見で呼びかけ。被災地で著しい不足。 *日本では災害時に略奪行為が起こらないといわれていますが、買い溜めにより生活物資が小売店から消えました。災害時に物資が平等に行き渡らないという点では「略奪」と「買い溜め」に大きな差はないとの批判もあります。 ・千葉県旭市、災害ボランティアセンター開設 *遠浅の海岸に大津波は来ないという説がありますが、東日本大震災はその説を覆しました。旭市飯岡地区は遠浅の海底地形なのですが、矢指川入り口の砂丘には高さ7.6メートルまで津波が到達した痕跡が残っていました。 ・銚子沖で震度5弱の余震。 2011年3月17日 ・ニューヨーク外国為替市場で、1ドル79円台に。現地時間では16日。 ・旭市でボランティアの受け入れ始まる。 ・午前9時48分ころ、福島第一原子力発電所3号機に自衛隊ヘリコプターからの海水投下を実施。一回の投下能力は最大で7.5t。 ・午後7時35分、自衛隊の特殊な消防車5台が3号機の貯蔵プールに向けて放水(計30t)。 ・佐川急便、東北地方へ配送する荷物の受け付け再開。ただし営業店止め。(物流回復の兆し) 2011年3月18日 ・仙台塩釜(仙台市)、宮古(岩手県)の両港で一部の岸壁が使用可能に。仙台塩釜港で支援物資陸揚げ。 ・地震発生から1週間、地震発生時間(午後2時46分)に各地で黙とうがささげられた。 ・原子力安全・保安院が国際原子力事象評価尺度でレベル5に相当すると判断。米国スリーマイル島原発事故と並ぶ評価。 ・日本銀行が、東京外国為替市場で円売り・ドル買いの協調介入に踏み切った。 2011年3月19日 ・被災者の県外一時移住が本格化。 ・自衛隊の10万6000人態勢が整う。 ・WHO(世界保健機構)が、原発から半径30キロ圏内を除けば、現時点で東京都内を含め日本への渡航を制限する必要はないとの見解を公表した。 ・IAEA(国際原子力機関)が、「東京都内で健康上の危険はない」との評価を明らかにした。 ・午前、福島第一原発5号機の冷却用ポンプ1台が稼働できる状態を確認。使用済み核燃料一時貯蔵プールの冷却を始めた。 ・午後2時過ぎ、東京消防庁は福島第一原子力発電所3号機への連続放水を開始。連続約7時間にわたって1千トン以上の放水を目指す。一連の活動により炉心が冷却された状態にあると東京電力が会見。 ・福島第一原子力発電所の1号機、2号機に電気を送る外部電源ケーブルの敷設が完了。 ・午後10時過ぎ、6号機の冷却機能回復。 2011年3月20日 ・宮城県石巻市で生存者救出。 ・福島第一原子力発電所2号機の通電確認。 |