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本田宗一郎 |
HONDA Racing F1 |
その他 |
| 1906年 |
本田宗一郎誕生 |
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| 1922年 |
アート商会入社(自動車修理工場) |
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| 1928年 |
アート商会から「のれん分け」の形で独立 |
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| 1937年 |
ピストンリング製作のため、浜松高等工業機械科(現静岡大学工学科)の聴講生となる |
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| 1945年 |
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第二次世界大戦終結 |
| 1946年 |
本田技術研究所設立 |
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| 1948年 |
本田技研工業株式会社設立 |
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| 1949年 |
藤沢武夫を専務として迎える |
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ドリームD型 |
| ホンダ初の本格的モーターサイクル。 |
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| 1950年 |
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F1グランプリ初開催 |
| 1958年 |
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スーパーカブC100型 |
| 耐久性、低燃費、扱いやすさを備え、世界中で愛用されています。 |
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| 1961年 |
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クーパーT53
| 戦後いち早くミッドシップエンジンを採用した近代F1の原点ともいえるマシン。F1開発の参考に購入。 |
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2RC143 |
マン島TTレースで1位〜5位を独占 |
| 1962年 |
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鈴鹿サーキット完成 |
| 1963年 |
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T360
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| 1964年 |
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F1初参戦

RA271
完成した時は犬小屋のような形状の車体だったといいます。
このような形状になったのは、本田宗一郎の「下の方を切っちゃえ」という指示があったのが原因だそうです。
犬小屋のようなHONDA初のF1マシンを見た本田宗一郎は、ものすごい剣幕で怒り出し、記念撮影のために呼んでおいた写真屋が帰ってしまったという逸話が残されています。
車体には日の丸が描かれており、日本を代表して出場していたことがわかります。 |
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| 1965年 |
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RA272
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| 1967年 |
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N360
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| 1968年 |
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F1休止 |
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| 1973年 |
社長を退任(副社長の藤沢武夫と共に取締役最高顧問に就任) |
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シビックCVCC
世界で初めてマスキー法(大気浄化法)をクリアする。
CVCCエンジン開発の合言葉は「未来の子供たちに、きれいな青空を残したい」というものでした。 |
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| 1983年 |
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第2期F1参戦

SPIRIT/HONDA
201C |
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| 1986年 |
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Williams/HONDA
- FW11 - |

E0 |
ロボット研究スタート
小型ジェット機研究スタート |
| 1988年 |
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McLaren/HONDAが16戦15勝という記録を樹立

McLaren/HONDA
MP4/4 |
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| 1990年 |
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バブル経済崩壊 |
| 1991年 |
享年84歳 |
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| 1992年 |
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第2期F1休止 |
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| 2000年 |
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第3期F1参戦
BARにエンジン供給 |
ASIMO発表 |
| 2001年 |
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ジョーダンにエンジン供給 |
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| 2002年 |
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F1参戦初年度の佐藤琢磨が日本グランプリで5位

Jordan EJ12 |
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| 2003年 |
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HondaJet初飛行成功 |
| 2004年 |
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佐藤琢磨がアメリカGPで3位表彰台

BAR006 |
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| 2006年 |
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SUPER AGURI FORMULA 1にエンジン供給
第3期初優勝(ハンガリーGP)

(ハンガリーGP優勝車) |
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鈴木亜久里がSuper AGURI Formula Oneを設立 |
| 2007年 |
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RA107

SA07
| Super AGURI F1 TEAMの記号は手裏剣をイメージしています。マシンカラーは日本代表を意識して赤と白を基調とした色彩でペイントされています。 |
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| 2008年 |
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第3期F1撤退 |
リーマンショックにより世界経済が加速度的に悪化 |
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